自己肯定感が大事だというけれど
日本の若者の自己肯定感が外国に比べて、とても低いという記事を、ネットで読みました
欧米・アジアその他の地域の若者では60%以上、多い国では80%を超えるということです
お隣、韓国でも70%の若者が、自分の能力や存在意義について肯定的に捉えているそうです
しかし、日本の若者では40%と、他と比べて際立って低いということでした
これはどういうことでしょうか
文化の特質は少なからずあると思います
日本語では、一人称の主語を省略することが多いですよね、一番最後に、コソッとつけたり
若者というより、日本人のこのような文化的特質と深い関係があると思われます
儒教の国、中国でも、若者は日本より自己肯定感高いのですが、中国語は英語と同じ "I think〜" の文法だと聞いたことがあります
それにしても、これだけ情報の量も速度も飛躍的に進歩して世の中がグローバル化しているのだから、もう少し世界平均に近づいても良さそうですよね
海外での著名人の政治的発言や社会貢献の話題に接すると、日本人は、自己主張・自己表現が少ないな、と感じます
主張・表現するまえに、自分の考えを持っているのかと訝ってしまいます
マスコミの取り上げた話題に乗じて騒いだり、みんながやっているからと、ハロウィンで羽目を外したりするところから考えると、決して大人しいというわけではなさそうです
飛躍しすぎだと思われるかもしれませんが、
私が考えるには、第二次世界対戦の敗戦で受けたダメージが、日本人を卑屈にしているのではないでしょうか
国の繁栄のために大変重要な「教育」の場面で、国・地域・家族・個人という「生存」の肯定的な把握を怠ってきたのではないかと思うのです
"怠って"というと語弊がありますね
自戒の念から、帝国主義的な思想を遠ざけるあまり、国としての生存基盤に踏み込めないできた
戦争の責任と結果のあまりの大きさに、自己の存在の確立に抵抗を覚えている
言い換えれば、自分らしさ・日本らしさから逃げている
それはまた、戦争の経験を後世に伝え、未来を考える機会を奪っていると言えるのかもしれません
時間が解決するだろうと思ってきた苦い経験が、二回りの世代交代を経て、自信のない若者を生み出してしまっていると思えてなりません
深く知ることなく年齢を重ねていく子ども(私もその一人でした)は、溢れる情報の中から、自分に都合の良いものだけを取り入れて、消化不良になっているような気がします
本来、農耕民族だった日本民族の帰属意識が薄れたら、どうなるか
一人では狩りもできず、マスコミが右向けと言えば右を向き、みんながやっているからと受験勉強をする
しかし、政治はどうせ頼りにならないからと、投票もしない
だけど、ラグビー日本代表・桜JAPANが活躍すればにわかファンはあふれ、ハロウィンの渋谷は無礼講だと勘違いして大騒ぎする
若い力は、帰属意識の発露と集団心理の熱狂を求めているように思えます
自分はどこのだれで、何を考え、どう行動するのか
それは、誰かの役に立つのか
そういうことを考えられるようになって初めて、自己肯定感を持つことができるのではないでしょうか
その他大勢の中に紛れて、子供じみた承認欲求ばかり肥大した若者を見るにつけ、戦後の教育について考えさせられます
と、ここまで考えて、最初に書きたいと思っていたことと、全く違う話をしていると気づきました
自己肯定感と積極性の関係、4つのパターン
1、自分は一人前の人間だし、がんばって、うまくやっている
2、自分は人並みの人間だけど、周囲のせいで思ったようにいかない
3、自分は出来は悪いが、それなりに一生懸命やっている
4、自分は出来損ないだし、何をやってもうまくいかない
このうち、自己肯定感が最も低いのは4のケースですが、問題の大きいのは2のケースではないでしょうか?ということを言いたかったんでした
長くなりましたので、また次回