自然法爾 Let it be!
自然法爾( じねんほうに)との出会い
自然法爾(じねんほうに)って言葉を見つけたのは、お盆休みに実家に帰ってトイレに座っているときだった
日めくりカレンダーに大きく「自然法爾」と漢字4文字が書いてあって、それは眼鏡を外してくつろいでいた私にもはっきりと読めた
目を凝らすと、漢字の傍に小さくLet it beと添えてあったのも読めた
Cool! かっこいいじゃん!
便座の上で、「爾」の字を宙に描いて練習し、よしっ、これ使えそう!と思ったのだ
(これが本当の座右の銘)
親鸞が尊んだ自然法爾
自然法爾とは、鎌倉時代に、かの親鸞が、阿弥陀様に全てお任せして念仏を唱えれば何人も救われる、とした浄土信仰の教えを端的に表す仏教用語だそうである
親鸞については、聖職者でありながら妻を娶り子をなしたという人もいるが、私は、五木寛之の小説「親鸞」上下、「親鸞〜激動編〜」上下、「親鸞〜完結編〜」上下を読んでいたので、1人の生活者として仏の教えを読み解き、時代の流れに竿さして広めた、と理解している
(これについては、先頃、全く違う角度からほぼ同時代を描いた帚木蓬生の小説「襲来」上下巻を読んで、歴史に疎い自分としては、もっと知りたいかもと思ったばかりである)
たぶん、小説の中にも「自然法爾」は出てきたのだろうが、ストーリーを追っかけていた時は、言葉として頭に残らなかったのだと思う
何より、Let it be!という英訳は付いていなかった
自然法爾イコールLet it be
🎵レリビィ〜レリビィ〜レリビィ〜レェリビィ~
誰でも唄いたくなる名曲、ビートルズの『Let It Be』のサビでお馴染みのフレーズである
それが四字熟語「自然法爾」の訳として添えられていることに反応しちゃったわけだ
ジョンとポールの自然法爾を疑う余地はないから、便座からおしりを浮かせないように気を付けながら、
イッツ クゥーーッ!
となったのも、わかっていただけるのではないだろうか
これには反論はほぼないだろう
自然法爾の「自然」は「しぜん」じゃない
自然薯(じねんじょ、ヤマノイモのこと )を知っていたら、これも問題ない
野性味あふれる外見、あの格別な粘り気と滋養豊かな風味がたまらない
田舎道を車で走っていると、非耕作地が続く家もまばらな集落の道端に、「←じねんじょ、あります」なんてヘタな字で書かれた看板が出てきたりする
知らない人にはチョット不気味な想像をさせるんじゃないかな、と、自然薯を覚えたての頃、思った記憶がある
「自」はもともと「ジ」と読み、「然」は「ネン」なわけだから、「自然」を「しぜん」と読むことの方がイレギュラー・パターンなんだと気づけばいい話
自然法爾の「爾」
そしてこの自然法爾の「爾」の字が何ともとっつきにくいくせに気を引く漢字なのだ
すぐに思いつくのは小説家、藤原審爾(ふじわらしんじ1921〜1984)の「ジ」
藤原審爾の幅広い作風と多才ぶりをわずかながらでも知る者として、憧れとともに記憶に残る「爾」なのである
「ジ」だと思っていたら「ニ」とも読むらしい
訓読みでは「なんじ」とか「しかり」などと読み、(そのとおり)(そのように)という意味があるのだとか
これ一文字でも Let it be や As you like みたいな意味があるということか
自然法爾だったら無敵じゃないか!って思うよね、
(そうだ、これを知ったら、やたら難しい漢字を生まれた子どもの名前に使いたがる親は膝を打ってよろこぶんじゃないか?)
そんなわけで、この夏の思い出とともに、私の記憶に留まる大切な言葉となった
「自然法爾」について書いてみた
悪しからず