東電の楽観主義バイアスについて思うこと
台風15号
まずは、台風15号による被害に遭われた多くの方に、お見舞い申し上げます
千葉県などの停電被害に対する東電のお粗末な対応について、学識経験者等のコメントが発表されていますが、その中に「楽観主義バイアス」という言葉が出てきました
これについて以前から思うところがありますので、少し書かせていただきます
東電の楽観主義
今回、東電の担当者は、被害の全容がつかめないまま希望的観測で復旧の見込みについて言及してしまったわけですが、住民のライフラインを掌る巨大企業としての危機管理が甘いにもほどがありますね
天下東電、今まで大丈夫だったから許されてきたからと、危機感のない言動を繰り返して、被災者を惑わし、裏切り、苦しめてしまいました
実際の現場では、作業員や技術者が必死になって対応していたと思いますが、現場の見えていない中央の人間は、自分がやるつもりもないので人聞きの良いその場しのぎの発表になったのでしょう
デジャヴかと思いました
楽観主義バイアスは繰り返す
そうです、この楽観主義バイアスは、一時的なものではありません、バイアス=偏りですから
三半規管に支障があって平衡感覚がとれなくなると、本人はまっすぐ歩いているつもりでも、だんだん曲がって行き、終いには円を描くようにくるくる回ってしまうことがあります
傍から見れば明らかに道を逸れているのに、本人は気づかないのです
周りから指摘されても、思考回路が偏っている人間には、それがわからないのではないでしょうか
東電の場合は法人格ですが、組織としての楽観主義バイアスに陥っていると言わざるを得ないですね
ギャンブラーこそ楽観主義バイアスの落とし子
今日は負けちゃったけど、明日になればまたきっと勝てる
この前は5万円も勝ったから、昨日と今日3万円くらいすったって大丈夫、大丈夫
今月分の給料もうなくなっちゃうけど、宝くじが当たれば全然余裕~
自信がなければもっと努力研鑽するものだと思いますが、自惚れというか何か根拠のない自信があって、いつも自分はどうにかなると思ってしまう人がいますよね
ギャンブラーは、まるで楽観主義バイアスに絡めとられちゃっている見本のような人が多いけれど、そういう人に限って自分はチャレンジャーだ、くらいに考えているのでなないでしょうか
前向き、プログレッシブなどと自己表現したがる人には注意しなくてはなりません
楽観主義者と悲観主義者
さて、楽観主義があれば、反対の悲観主義もあります
リスク管理がご専門の島崎敢さんの「心配学」によると、食品添加物や医薬品の使用基準を決める際には統計上すこぶる悲観的数値を用い、また極めて可能性の低い副作用等に言及するのだそうです
それが原因かも知れない副作用がゼロでは無い以上、消費者・利用者にそれを告げた上で選択・使用してもらうしかないわけですが、販売されている・使用認可が下りている時点で、効能の方が圧倒的に大きいということです
しかしメディアの報道や人の噂話は、稀有な事象こそを騒ぎ立てるので、サメに食われるかもしれないから海には行かない、などと見当違いとも言える心配をする人が後を絶たないというわけです
すごく納得しました
正に楽観主義バイアスと反対の悲観主義バイアスです
リスクマネジメントと悲観主義
医者にかかってみると経験することですが、この手術をするにあたってはこんなにリスクがありますけどいいですね、と手術するしかない患者に向かって恐ろしい副作用や危険性を並べ立ててサインさせますよね
医者および病院は医療過誤などによる訴訟の賠償額や経営上の損失の大きさから、早い時点からリスク管理を徹底しているようです
そもそも、TVドラマじゃあるまいし人間のやることに完璧なんてありません
自然科学の分野だって解明されてないことの方が多いのだから、医者が万能だなんて誰も思っていません
病気になってしまったら自分では治せないから医者を頼るのです
医者がプロとして誠意ある対応さえすれば、結果で訴訟になることはないのではないでしょうか
医者だってもちろん、患者やその家族の期待に応えたいと思い、ベターな結果のためにベストを尽くす、と信じたいところです
しかし、そう言い切れないから、威圧的になってでも言質を取る方に注力していると思わざるを得ません
悲観主義バイアスは、言い逃れのためのリスクマネジメントですね
楽観主義バイアスも悲観主義バイアスも不誠実な証拠
つまり、どちらも、相手に対してあるいは自分に対して不誠実な証拠だということです
他人事で済まそうという考えや、自分さえよければいいという考えが、周囲を不自由にしていることにもっと気付かなくてはなりませんね
現実と正面から立ち向かい、誠実に対処していけば、人々をこれほど苦しめることはなかったんです!
こんなことを言ったところで、楽観主義バイアスは簡単に修正できるものではありません
公共性の極めて高いライフライン大企業はリスクマネジメントこそが生命線ですから、東電にはもちろん、バイアスを振り切って修正してもらわなければなりません
そのためには、日本人には苦手な、それを監視しもの言う利用者になることも大事でしょう
楽観主義バイアスは完全否定されるものか
しかしベンチャー企業ならどうでしょうか?
個人の責任で結果をすべて引き受けることのできるベンチャーならば、成功すれば新たな価値を生み出すことができ、失敗しても当人がダメージを受けるだけで済みます
当然のことながら、多くのベンチャー、スタートアップは高い理想を掲げながらも綿密な計画と技術の構築を重ねているはずです
彼らの多くは、1度や2度の失敗でくじけることなく、挑戦を繰り返します
これこそ楽観主義バイアスとは言わず、彼らは、失敗を糧に、より念入りに前進を試みる挑戦者です
彼らのうち成功するのは何パーセントくらいでしょうか
そこから漏れた、最後まで成功しなかった人をギャンブラーと呼んでしまうのは気の毒ですが、初めから当たって砕けろな思いつき起業家も含めて、社会に貢献していると思うのです
だからこそ、政府も今、国家戦略特区の構想に力を入れており、スーパーシティ構想なども盛んに取り上げられているのではないですか
社会全体を前に進めるようなとき、石橋を叩いても渡らないような心配性の悲観主義バイアスは足枷にしかなりません
特に今の日本のように物質的な充足感のある社会では、新たな需要を生み出すことが経済の活性化に必須です
そこに首を突っ込める無鉄砲さは、政府や自治体の周到な計画性とともに、これからの社会にも、とても大きな役割があると思うのです
世界経済の歴史を動かしてきたのも全て、そうした人たちの成し得たイノベーションに違いないのですから
そう言えば夏ってこんなだった!
今週のお題「夏を振り返る」
十数年来、夏でも冬でも、仕事行って家事やって飲んで寝るという繰り返しだった
夏に長期休暇を取って旅行したり、高校野球甲子園大会を楽しんだり、海行ったり山上ったりと、らしいことをしている人たちがいるのは知っていたけど、私はずっと働いていた
別に売れっ子アイドルなわけじゃなく、ひっくい時給でやっすいパート代を稼ぎ、ついでに自宅の電気代を浮かせようと、決して面白くはない仕事をやっていた いや、今もやっている
去年までと違うのは、休みの日の方が多くなったこと
今年、孫たちと同居することになって、仕事を減らし減らされ、彼らの相手をする時間が生活の多くを占めるようになったのだ
保育園の送迎やおむつ交換、真夏の公園、夕暮れ時の手持ち花火
20年ほど無縁だった幼子たちとの夏は、自分の子育ての時よりむしろ、自分が子供だった頃のことを彷彿とさせるものだった
近所の、周囲を30本くらいの桜の木で囲まれた小さな公園に、4歳と2歳の孫を連れて行った
日陰のない砂場で遊び始める彼らを、木陰に誘導しつつ何気なく地面を見ると、直径15ミリほどの穴がそこら中に開いているではないか
これはあれだ、ほら!
子どものころ、近所のお寺に朝早く行くと、低い場所でもよく見られたセミの幼虫の、7年越しとかに這い出してきた跡ってやつ~
よく、虫かごがいっぱいになるまでセミを追っかけまわしたものだ 木の上ばかり見上げて首が痛くなったとき、父に、早朝の羽化間もないセミを狙えと教えられたのではなかったか
辺りを見回せば確かに、ツツジの植え込みや桜の木の太い幹のそこかしこに、セミの抜け殻がひっかかっている
背中が割れて、カラカラに乾いたセミの抜け殻を、孫たちは恐る恐る指でつつき、掌に載せた
3つ4つと摘み上げるうちに力加減がなおざりになる 潰す
結局、じりじり焼ける砂場で、プリンカップのご飯にふりかけとなったセミの抜け殻が、夏ってこんな風だったんだと、私に思い出させてくれた セミの声は毎年聞いていたはずだけど
今週のお題は「夏を振り返る」だが、私が振り返ったのは今年の夏ではなく、まだ世の中のことなど何も知らなかった半世紀も前の夏だ
誰かの言うように、幸か不幸かの人生の帳尻は合うものだとすれば、これからは、ちゃんと季節を感じられる日々を送ってゆけるかもしれない
孫たちのおかげで
パートナーがギャンブル依存性になったとき
周囲から見えないギャンブル依存症
ギャンブル依存性なんて他人事だと思っていました
夫の帰りが遅いのは仕事が忙しいからだと思っていました
どんなに帰宅が遅くなっても家で夕食を食べ、朝食後、弁当を持って決まった時間に出社する夫を支えるために、家事・育児をこなしパートに出るのも当然のことと思っていました
夫の家での役割は、週末、家族で出かける(主に夫の実家)ときの運転やエアコンの掃除・ファンヒーターの片づけ・洗車くらいで、それがなければTVで野球や相撲を見たりPCをいじって過ごしていました
そして、本屋に行くとか薬屋に行くとか、あるいは散歩だとか言って家を出ていくことがよくありましたが、子どもたちが小学校高学年にもなれば、家にいられるより家事の邪魔にならなくていいくらいに思っていたのです
ある時期までは、私が夫の銀行口座を管理していましたが、小遣いが足りないと言われキャッシュカードを本人に渡しました 住宅ローンや光熱費・保険料・生協の購入代・塾の月謝などは引き落としになっていましたから、小遣いに使えるお金はそれほどないのがわかるだろうという考えでした
私は甘かったのです
ギャンブル依存症の人は平気で嘘をつく
はじめ、夫は、カードを落としたとか失くしたとか言ってごまかしましたが、 いつのまにか残高不足で引き落としできなくなってしまいました
夫がパチンコをやるということは知っていましたが、まさかそこまでとは思ってもみませんでした
通帳を見ると、同じ日に2回も3回も引き出したり、それも営業時間外手数料を取られていたりしたのです 節約を心がけてやりくりしていた私には信じられないことでした
夫を問いただすと、ストレス発散だとは言ってもパチンコだとは認めません
普段その影を見せないギャンブル依存症の人ほど豹変する
都合の悪いことには黙ってしまい、逆に苛立って手を挙げる
実際に明らかな暴力を振るわれたことこそありませんでしたが、大きな声で威嚇したり睨みつけられたことはありました まるで知らない人のようでした
夫にとっては、普段私が見ていた姿の方が作り物だったのでしょう
とにかく、話し合うことなどできませんでした 何に使ったか言わないので解決しようにも手段がないのです
後を付けて証拠をつかもうと考えたこともありましたが、夫のことでこれ以上エネルギーを使う気力は残っていませんでした
子どもたちの生活をまもるために自分の仕事を維持させるのが精いっぱいでした
嘘をごまかすために嘘をつく
どうしたら立ち直ってくれるのか
「これは私が何とかするから、あっちはあなたが必ず払っておいて」
やる気を引き出すために私が少しでも譲歩すると、直ぐに突け込んできました
携帯電話代の支払いが滞り、振込用紙を探すため夫のカバンを調べたとき、パチンコ店のプリペイドカードや宝くじの購入レシートが出てきました
生活費は私に払わせておきながら、自分は3万円も宝くじを買っていました
ギャンブル依存症の人は宝くじで生活を立て直そうと考える
何度も念を押し、大丈夫だからとやかく言うなと言われていた上の子の大学の授業料を遅延した上に払えないと言ってきたのは、サマージャンボの抽選発表日の後でした
このとき私は、自宅の名義を自分に変えました(婚姻期間20年以上の夫婦間贈与の特例を利用)
夫名義だった子どもたちの学資保険・教育保険・夫の生命保険はすでに解約されていました 証書は私が管理していましたが、保険は、夫本人の申し出で借り入れの担保となり解約に至っていました
私はパート先の人事部にかけあって子どもたちを私の扶養に入れ、アルバイトを掛け持ちして連日働き続けました
相手の情に付け込む消極的詐欺の手口
心配して少しでも寄ってくる人に対し夫は、時には苦労話をし、時には泣きつき、時には明るい未来展望を語ってお金を出させていたようです
後日、親類から、転職の際の保証人を頼まれてサインし就職祝いを渡したが、その後の連絡がないと言われたことがありました
夫は、離れて暮らしていた母親の治療費がかかるからと言って生活費を入れませんでしたが、実際は母親の年金もを使い込んでいたらしく、入院費用の支払いも滞っていました
夫の母親が亡くなったのを機会に、夫にはその母親の住んでいた団地に移ってもらいました
私は毎月、(名義人である夫に使われてしまう恐れがあるため)住宅ローンの返済日直前に相当額を入金し、子どもたちと自宅に住みとどまりました
2回目の借金清算のとき、離婚届にサインをもらい、次にこんなことがあったら私の都合で出させてもらうと了承を得ていましたので、別居後2年目に正式に離婚しました
ギャンブル依存症の底なし沼
でも、これで終わりではありませんでした
後になって分かったことですが、下の子は父親にそそのかされて上の子の倍の奨学金を借りており、働くようになった上の子には無心の連絡が来るようになりました
私にはもう他人になりましたが、子どもたちには永遠に父親なのです
私から父親の悪口を聴きたくない2人の子どもは、私を通すことなく父親と対応することを選びました もちろん元夫も、私に知らさずに子どもたちと連絡を取り合いました
彼からは、子どもたちに、私への不満や自分に都合の良い作り話が語られたことでしょう
昔の私が見抜けなかったように、彼らもまたギャンブル依存症の父親の毒牙にかかってしまいました
人間は弱い生き物だとつくづく思います
私は陰ながら、子どもたちを支えてゆく覚悟です
ギャンブル依存症に関する本
精神科医でもある作家・帚木蓬生先生が『「やめられない」ギャンブル地獄からの生還』という本を書かれています 涙が止まりませんでした
本人に治す気があれば、グループワークなどやりようもあるのでしょうが、元夫の場合、大変難しいことのように思えます 全部失ってしまわなければ始まらないのですから 巻き添えになる人間にはたまりません
また、同じく帚木蓬生先生の『「ネガティブ・ケイパビリティ」答えの出ない事態に耐える力』の中では、それでも生きてゆくための心の納め方が説かれています
今、苦しんでいる人の助けになる本です
というわけで、自分の心を見つめ直すために、今までの経験を書いてみました
どなたかの参考になれば幸いです (参考にするような立場の人が少ないことを祈りますが)
余談ですが、子どもから借りて読んだ羽海野チカさんの『3月のライオン』に出てくる3姉妹の父親のイメージが、元夫にそっくりで驚きました
悪口の効用
人の悪口を言い合って楽しかったことってないですか?
私、あります
相手も共感してくれて、「分かる、分かる」「やっぱりね、そうだと思った」「あいつ、やりそう~」とか言われると、もうテンション上がって、とめどなく経験談が出てきます
全部吐き出して、お互いに笑い飛ばし、気分はスッキリ!
なんだ、自分だけじゃなかったのか嫌な思いしてたのは、と、もやもやしていた気持ちが晴れてきます
次にその人のことでまたぶちぎれそうになっても、又ネタにしよう、と思えば、やり過ごせます
こんなストレス発散法を、自分でもとても気に入っていました
話し相手になるのは、もちろん同じコミュニティの中の気の合う仲間で、ここから友人と言えるようになるのには、あまり時間はかかりません
そんな友人とは、十数年付き合いが続いてます
今ではお互いの立場も変わり、話題も移りましたが、同じ時期に同じ思いをした者同士、相手を尊重し共感しあうことができていると思います
今なら、あの悪口の対象であった人の情況や心理もほんの少しは理解できるし、何より友との楽しい時間を提供してくれたことに感謝したいくらいです
誰彼構わずしゃべるわけにはいきませんが、相手を選び、場を選んで言い合う悪口は、逆に人と人を結び付けることもあるということ
そして、共感できる人との出会いは人生の財産だなあと思う今日この頃です
DaiGoさんの非難する被害者実名報道の正義だったこともある件について
DaiGoさんのスーパーチャット
すごい熱量のDaiGoさんのYouTubeスーパーチャットを見ました
たまにTVでしか見たことがなかったので、こういう人だったのか、と驚きました
DaiGoさん、カッコイイです
多くの人が日頃から思っていたことを、世間に名前と顔が出てる人が公の場で自ら発信してくれたってことが小気味よい!
メディアに出てる人はメディアからの恩恵を受けている人で、その力の大きさを知っていますからね
ご本人も動画中でおっしゃっているように、今後、各方面から圧力がかかるでしょうね
そして、DaiGoさんを利用してまた儲けようとする輩も出てくるでしょう
そのときはDaiGoさん、思いっきり出まくって、ご自分の活動資金を稼いでください
たくさんのこっち側の人が、スカッとすること、またやってくれるに違いないから
ところで、実名報道が有益だった時代もある
私はかつて、TVのニュース報道のスクロールする字幕スーパーの死者・行方不明者欄に友人たちの氏名を確認し、途方に暮れながらも慌てて行動を起こした経験があります
事故の場所と日時からわが身に覚えのある件だったからね
何人かの知人を通して私に連絡がきたのは翌日になってからでした
亡くなった友人や負傷した友人たちの家族に直接、経緯や容態を問い合わせるのはためらわれ、収容病院のアナウンスがなければ、駆け付けることもできませんでした
33回忌も過ぎたけど、今までその家族の方々にも私たちにも必要以上の取材を受けたという話が出たことはありません
あのころは、ニュース報道においては実名報道は当たり前だったし、現在のような過激な取材報道はなかったと思います
ワイドショーでは連日被疑者がマイクの前でパフォーマンスをしたり、芸能人が囲み取材や自宅インターフォン取材をされたりしていましたけどね
個人情報保護法
2003年に個人情報保護法が施行されたのは、高度化された情報社会において個人情報が事業者等によって垂れ流しされて、個人の権利・利益を侵害する事例が増え世界的にも問題化されたからです
昔は、学校のクラス名簿や住所録は毎年のクラス替えごとに生徒に配られるのが当然でしたし、一度何かに応募したりすれば聞いたこともない会社から営業を受けたりするのを不思議とも思いませんでした
個人情報は守られるべき財産だという認識がなかったんですよね
でも、今はそんなこと言ってられません
誰でも知っているように、他人の個人情報で商売をする人、儲けようとする人、それをだまし取ろうとする人がいて、かなりの被害が出ています
更に、ネットで簡単に検索し、それを利用することもできるし、裏を取ることなく匿名で拡散することもできるわけです
ニュース報道のワイドショー化
事件や事故の被害者やその周囲の人からのコメントを、ワイドショーではないニュース番組でも流すようになったのはいつ頃からでしょうか
「惜しい人を亡くしました」的な慣用句型から、「今朝、おはようって挨拶してくれたばかりなのに」という驚嘆型のものや、「職場ではいつも優秀なセールスマンで部下にも慕われていました」みたいな絶賛追悼型など、被害者を身近に感じるためのコメントを盛るようになってきていますよね
本当に悲嘆に暮れている人はこんなに饒舌に語らないんじゃないか、とも思うくらいマイクに向かってしゃべる人が顔を出さなかったり、取材されていることに快感を覚えちゃってるんじゃないかと思えるような人がいたりするけど、あれは、ニュースに必要でしょうか
執拗に思い出話をさせて、言葉に詰まったり涙をこぼしたりする表情をアップにしたり、しゃがんで手を合わせてる献花者に下からのアングルでフォーカスしたり、これってどういうこと?
どういう神経の人がこれをやらせて電波に乗せているの?
これは、DaiGoさんもおっしゃっているように、人は悲惨な物事かつ具体的な事象に対してより注目度が高まるという習性を視聴率に利用していると言わざるを得ません
ニュースがショーとして視聴率を競うフィクションになってしまってるんです
NHKも視聴率戦争?
そして、公共放送だからといって事実を事実として報道してしまうと、他の民間メディアに餌を撒くことになるわけです
それは、民間メディアの利益にはなるけれど、被害者や視聴者の利益には決してなりません
現代の情報社会で一役を担うつもりなら、そここそ考慮するところですよね
メディアがあのようにえげつないのだから、匿名のSNS発信者がさらに非常識な行動に出るのを抑えられるわけがありません
DaiGoさんは今回の京アニ事件で怒っていたけれど、2016年7月に起きた相模原障害者殺傷事件だって、今年5月の川崎通り魔事件だって、被害者やその遺族が、事件の後、どれだけ傷つけられたか想像するに難くありません
モラルで規制できるか
そんな2次被害を防ぐためにはモラルを説いているだけではダメなんです
そもそも、日本人は道徳性が高いとか、慎み深いとかいっていたのは、それこそ昔の話です
右へ倣えの受け身習性でいながら、見栄っ張りで僻みっぽくて陰湿だということが、このネット社会になってあからさまになったのではなかったですか
自分が直接関係のある知り合いの情報ならば、自分の持つネットワーク内で集めることができるはずだし、第三者が相手の実名を知りたければ、自分の氏名・身分を明かして、しかるべき機関に申請するとか、情報の入手経路を残す規制を施すべきだと思います
もちろん、匿名の発信を排除することで、責任の所在と信憑性を確保する手立ても必要になるでしょう
世の中、そんな簡単に交通整理のできるものではないけれど、罪のないばかりか被害にあって苦しんでいる上に貶められる人がいる以上、相応の規制措置を取らなければいけないと思います
また、”情報格差”という角度の違う問題も
田舎では新聞の地域面に今でも訃報欄があって、政治家でも芸能人でも社長でもないどこそこの一般人が、いつ死んでどこで葬儀をするかを遺族がこれまた実名で掲載料を払ってまで載せています
これには私も驚きを禁じ得ません
それを見ることができるのが、新聞を取り続ける一番の理由だと明言する高齢者がいるのも事実です
こんな情報、利用しようと思えばいくらでも悪いことに使われてしまうでしょう
新聞だってその昔はなかった それがあるのが当たり前になったのと同じくらいの変化が、今起こっていることを、全体で理解しなくてはならないと思います
急速に高度化した情報システムに順応できない人々がいることを忘れてはいけません
そして、これからも情報ツールはさらに進歩を続けるし、誰でも年を取るのだから、そのことにも手を打っておかなければならないと思います
飲むゴーヤー
今年はゴーヤーは外れ年?
毎年、ゴーヤーがたくさんでき過ぎたと身近な人に配りまくっていた母が、「今年はよそのお宅もナリが悪いらしい」って言っているのだが、そうなのだろうか
ゴーヤーを育てている人には、ゴーヤーを育てている友人知人が多いので、そんな情報がゴーヤーを育てている人々の間で噂されているらしいのである
母は、自分のとこで成ったゴーヤーも頂き物のゴーヤーもすべて無駄にせず、食べきれない分は、綿と種を除いたものを薄切りにして冷凍保存している
それを、冬でも毎朝、飲んでいるのである
そしてもちろん、人にも勧める
私も何度となく飲まされ、ん、いや、ごちそうになって、とても美味しいと思う
冬はともかく、この夏の時期には、のど越しよく爽やかで栄養もあるので、皆さんにもぜひお勧めしたい
材料(一人分)
①牛乳100cc(豆乳でもよい)
②バナナ1/2本(冷凍でもよい、りんご1/4でもよい)
③ゴーヤー(綿と種を除いて薄切りにしたもの、冷凍でもよい)50~100gお好みで
④はちみつ スプーン1杯
⑤氷 3つ(冷凍のバナナやゴーヤーを使う場合は入れなくてもよい)
作り方
①~⑤をミキサーに30秒ほどかける
口が大きめのグラスに注いで、できあがり
*グラスは洗いやすいように、口の大きいものを選ぶとよい
*使い終わったミキサーは100ccほどの水を入れて10秒ほど回転させると直ぐにキレイになる
いかがですか?
いかにも長く生きてきた母のこだわりと適当さが偲ばれるレシピではないでしょうか
わたしもこの、飲むゴーヤーが大好きですが、我が家では作りません
これは、母のところで飲むものだと思っているので
カメムシ大発生
アサガオにカメムシが!
5月に小さな鉢に種まきして、元気に発芽してくれたアサガオ
地植えして、水やりを続けてたのに、カメムシにやられてしまいました!
台風が近づいてくる前くらいまでは、ツルをあちこち伸ばして順調だと思ってたのが、雨が降って水やりをしないでいた間に、カメムシにすっかり住み着かれてしまったぞ
夏休み中には咲いて欲しいと期待していたのだが、どうも厳しくなってきた
〈このとおり 〉
薬剤を2回散布したものの効果なし
かなり念入りに害虫駆除剤(マラソン乳剤)を撒いたつもりなんだけど、アブラムシ・ハダニ用だからカメムシには効かないのかなあ
カメムシにはどんな薬がいいんだろう
そもそも、こいつらは本当にカメムシなのか?
カメムシといえば、くっさいやつ、という認識だが、こいつを触ったことはないから臭気に当たったことはない
形だけでカメムシ呼ばわりしていたことに気が付いたので、ググってみた
すると、まあ、こんな形の昆虫を総称して一般にはカメムシと言っていいらしい
その種類も生態もバリエーションに富んでいて、昔から人々を悩ませてきた害虫ということだが、うちのやつ(嫁ではない)はクサギカメムシというポピュラーなタイプのようだ
カメムシの中には、肉食(アブラムシなどの害虫を食べる)の益虫もいるらしい
うちの(嫁ではない)は草食(とくに新芽の柔らかいところを食いやがる)の害虫に間違いない
カメムシをやっつけるには、
カメムシコロリという薬剤(このネーミングであの大手製薬会社だとわかりますね)があるらしい いかにもワンターゲットで効きそうだ
コンビニによく取り付けてあるような殺虫灯やミント系ハーブのスプレーも有効だとある
アブラムシ用薬剤では、やっぱりだめか
うーん、この忌々しいカメムシのために、わざわざホームセンターまで行ってお金を使うのは悔しい
そうだ!
洗面台の下に数年来入れっぱなしになっている使いかけのシーブリーズがあったはず!
あれを、あのにっくきカメムシに、浴びせてやろう!
さあて、どうでるか
結果は次回以降でご報告させていただきます