聞いて欲しい独り言

こんな人も生きてますよ 離婚、パート・アルバイトの掛け持ち、子どもの独立、そして息子家族との同居、親のこと~

地球には重力がある

地球上には重力があるので、人は気を抜くと、途端にだらしない方向に落ちていってしまう

 

豊満な乳房もブラなしではその形を保てないように、

明日の仕事が無ければ、飲んだくれて終電を逃しても、まあいいやと思ったり、

パートナーが出張なら、夕飯はスーパーのお惣菜で済ませたり、

電気代が親持ちなら、エアコンつけっ放しでも気にならなかったり、

健康診断が終わったら、暴飲暴食したり、

エレベーターに自分ひとりだったら、鼻糞ほじくったり

 

というように、人間は何かしらのストレスを与えられていないと、神経も規範意識も体型もたるんでしまうのだと思う

 

たまには、たるませることも必要なのだが、その、たまに具合が難しい!

 

無人島で一人だったら、人の目は気にならないけど、生きていくために今よりずっと神経を使うだろう

自分一人分の食料を得、自然環境から身の安全を図るには、鏡を見る必要もないが、お腹をたるませるゆとりもないだろう

 

この文明社会で生きてゆく限り、人の目・世間の目を全く気にしないわけにはいかない

というより、自堕落な自分をこの社会に何とか繋ぎ止めているのは、人としての矜持とかいうきれいごとではなくって、まさに、世間体なんじゃないだろうか

 

休日の真っ昼間、宅配便の応対にノーブラで出てしまったことに気付いたら、私だって猫背になってしまう

 

落ちるだけ落ちて、たとえ世捨て人とかホームレスになったとしても、一つの社会の中で、他者と無関係には生きられない

死ぬまでは腹が減るし、石を投げられれば痛い

また別のストレスを感じながら、生きていくことになるだろう

 

どこまで他者と折り合い、どこから自分を解放させたらいいのだろうか?

 

一方で、自分にも相手にも、ありのままの姿を受け入れようという精神論が語られることがある

どういうことだろう?

 

無条件に相手を受け入れる、とは、親が子にそそぐ無償の愛

または、罪深い人間を赦したもう神仏の業

 

人類がかくも長い間、同じようなことで悩みぬいてきたらしい歴史を感じる

 

アダムとイヴの話のように、人間は、そもそも不完全で罪深い存在である、ということを自覚することから始めたらいいのかもしれない

 

お互いの存在・立場を認め合い、讃えあい、許しあい、愛しあう

自分を認めて欲しければ、まず、相手をありのままに認める必要があることに気付く

 

これだ!

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そうだ、これは、重力の話だった

 

落ちてきたリンゴをアダムとイヴが二人して食べたときから、ニュートンに見られていたってことでいかがでしょう?

 

あーん、

イラストのレイアウト編集のやり方がわかんなーい‼️