お葬式事情あれこれ〜
意外と知らない今時のお葬式事情について
葬儀社に勤めていますと、世の中(日本)のいろんな変化に気付きます
お葬式について、一般の方は、普段あまり考えたこともないのではないかと思いますが、人は必ず死ぬ時が来ますので、その辺りのことを、ここで少しお話したいと思います
まず、身内が亡くなって、あるいはいよいよ危ないとなった時、初めて、お葬式のしきたりやお寺とのお付き合いを考え始める方が多いのに驚きます
知人の葬儀に参列したとしても、マナーをそれほど気にせず、なんとなく黒い服を着て、手を合わせて、神妙な気持ちになって帰ってくるくらいのことではないでしょうか
そして、普段から先祖の供養を心懸けることもない人々が、いざ身内が、というと、突然いろんなことを気にして相談に見えたりするのです
ネットの情報で間に合うことばかりではない
中には、ネットで仕入れたらしい知識を、こうであるはずだ、こういうこともできると聞いた、と自己解釈した要望を主張してくる人もいます
ほとんどの場合、自分が何の信仰も持っていないのに、お葬式はお坊さんにお経をあげてもらうものだと思い込んでいるようですが、実家の宗派も知りません
個人でもできることと、専門の登録業者でなければできないことがあります
何百件・何千件と経験している葬儀社ならほとんど負担にもならないことが、一般の人には、とてつもなく大変な作業になってしまいますから、ここは専門家に任せて、親身になってもらえるように素直に相談するのがいいでしょう
はじめに分らないことは何回でも聞いて、その時の対応が悪いような葬儀社はやめた方がいいです
「しきたり」の再現と体裁
昔から代々受け継がれてきた「しきたり」は、核家族化に伴って断絶しているのですが、見かけだけは体裁を整えたいと考える人が大部分のようです
宗教儀式は体裁を整える手段となっているのです
そもそも、これだけ高齢化が進んでいるということは即ち「死」と向き合う機会が減っているということに他なりません
その昔なら、繰り返し「死」と接することで葬い方を身につけ、宗教の”ありがたみ”を実感することもあったでしょう
お葬式の小規模化
また、現代では、長寿のため、現役のうちに親の葬儀を行うケースが減り、必然的にお葬式の規模は小さくなりました
職場関係のお付き合い弔問者は減り、喪主が見栄を張る意味も無くなってきたのです
参列者の数や供花の数で、故人や一族の優劣を判断するような世の中ではなくなりました
(今では、銀座のホストかホステスかの誕生日に、店の前に並ぶ花の数の方が、話題になるらしいです)
お葬式につぎ込めるお金の減少と利便性の重視
それでなくとも費用を抑えるために、お通夜を省略したり、家族葬や直葬を希望する遺族も大変増えています
生前に入院・介護費用がかさみ、余裕がないというのです
また、故人の供養というより、参列者の都合を優先させる傾向は、お葬式を形骸化させる要因と言っていいでしょう
浄土真宗以外の仏式で、葬儀の時に初七日供養も一緒に行ってしまうこと自体、本来の教えからは外れています
だからと言って、あらためて死後7日目に儀式を行わなくていけないと言われても困りますよね
お寺の檀家離れ
お葬式の件数は減り、参列者の数も減って、「しきたり」に触れる機会はどんどん少なくなっています
それにもかかわらず多くのお寺は、檀家さんをはじめ地元の人々との日頃の接点を、進んで持とうとはしないようです
葬儀を依頼するほうとしては、それぞれの教則や教義に従うつもりでお寺さんの意向を伺うのですが、お寺側は自分たちの都合に合わせることの方が優先事項で、教義などは二の次です
そのくせ、お葬式になって、やっと出番とばかりに高いところからものを言うので、ありがたみよりも「高い金とった」と言われてしまうのでしょう
そして、ネットで料金比較をして、お坊さんの派遣を注文するなんてことになるわけです
(菩提寺がある人=霊園とかでなくお寺にお墓がある人は、こういうわけにはいきませんので要注意!)
価値観の変化と宗教離れ
そこには、個々の事情というよりも、社会的価値観の変化や、民族文化の変遷が大きな影響を与えていると言えるでしょう
宗教儀式は体裁のためと言いましたが、果たして体裁も必要ではなくなったら、どうなるでしょうか?
実際、喪主と参列者の間で認識が共通していれば、宗教家を招くことなく、身内だけで手を合わせたり花を手向けたりして送り出すお葬式をすることもあります
それはそれで、心を込めたお別れが可能ですが、後で身内から嫌味を言われたとか、故人の交友関係から訝しがられたという悩みをきくこともあります
また、好んで宗教色を排除したにもかかわらず、49日までに何々をしなくてはいけないだとか、位牌を作りたいがどんなものにしたらいいかとか、巷の概念にとらわれた考え方しかできない人もいます
悲しみの中、ぼんやりと記憶の中にある「しきたり・慣わし」と、世間体と、懐事情を総合判断して決めてゆくのが、なかなか難しいところなのです
継承されないお葬式とお墓
生前の親がすべて取り仕切っていたから、自分たちは何にも分からない、というのもよく聞く話です
一人暮らしの高齢者がこれだけ多いのですから当然と言えば当然ですよね
親の方も、離れて暮らす子どもたちにお墓の面倒まで押し付けられない、と墓終いの手はずを整える気概のある人もいます
土地や家業を承継するならまだしも、先祖代々のお墓を継ぐことに、負担以外の価値を見出すことは難しくなっていると言えるのかもしれません
どうすればいい?
こういう時代ですので、できれば、お葬式の話が現実味を持つ以前に、親・兄弟と一緒にシュミレーションしてみることをお勧めします
話しにくいとはごもっともですが、皆さん、胸のどこかで、気にしているというのも事実ではないでしょうか
そして、大切な人を亡くされて、どうするのがいいのか悩んでいる方に、私がよくお話しさせてもらうのは、こういうことです
「故人を護って下さる仏様も神様も、ご心配されるほど心は狭くないはずです
心が狭いのは生きている人間の証拠ですから、人間の言うことをあまり気になさる
必要はないんじゃないですか
ご自分のできる範囲で、誠心誠意ご供養されたなら、それに勝るものはありません
あとは自信を持ってお過ごしになる方がよろしいと思います」